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各界の声

海の自由と空の不自由

高橋 望 氏

関西大学商学部教授

 国際交通の担い手が海運から航空に移ったのは、日本入国客は1953年、大西洋市場は1956年であった。航空の実務用語の多くが海運のものを踏襲しているのも頷ける。とはいえ、実は両者の間には「海の自由」と「空の不自由」という決定的違いがある。
 国家主権とか国際法といった概念が確立される以前から船舶によって国際貿易が行われていたため、「公海の自由」と「航行の自由」から成る「海運自由の原則」が16世紀には成立していた。それに対し、戦後の国際航空は「シカゴ・バミューダ体制」と呼ばれる極めて国家統制の強い制度の下に運営されている。シカゴ条約で確認された領空主権主義の下、例外的に飛行を認める運輸権が関係二国間の航空協定によって交換されるというものである。
 戦後の国際貿易は、関税率の引き下げから廃止そして非関税障壁の撤廃、財の次はサービス取引そして資本の自由化、ついには体制の異なる中国まで巻き込んでグローバル経済まっしぐらであった。それに対し国際航空は、長らくこの潮流に背を向けていた。
 それに風穴を空けたのは、1944年のシカゴ会議以降一貫してオープンスカイ(航空市場開放)を主張していたアメリカであった。実際には、1978年のIATA(国際航空運送協会)に対する理由開示命令の発行に始まり、航空協定の改訂という経過を辿った。
 当初アメリカ系企業に市場を席巻されるのではとの危惧から国際航空自由化に戦々恐々としていた各国も、必ずしもアメリカの一人勝ちにはならないことがわかると航空規制緩和はいわば国際標準となった。日米オープンスカイ協定に合意した2009年時点で、既に百近い国々がアメリカと自由化協定を交わしていた。その自由化の内容は、指定航空企業の複数社化と就航地点の自由化、運賃自由化が中心であった。しかし運輸権のただ乗り防止目的の国籍条項緩和と国内営業許可は、市場統合したEUが加盟国のみに認める他は実現されていない。現にWTOは紛争処理を含めて、異質な国際航空を枠外に置いたままである。
 海運でも確かにカボタージュは禁止されている。しかし世界初のコンテナ商船を導入したアメリカ船社がアジア企業に買収されたように、環境変化で主役が交代している。経済成長と急激な為替変動で国際競争力を喪失した日本船社は、製造業に先だって船舶の海外置籍という形態で海外直接投資を進め、産業空洞化による市場縮小に対し成長を海外に求めた。その結果、海外売上高・海外雇用・海外資産のいずれもが8割を超える多国籍企業となって、海運大国日本の偉容を保持している。メリッツモデルの見事な実践である。
 本邦企業が輸送実績で世界30位以下に沈む航空と海運とのこの差は、自由化に残された最後の課題である「資本の自由化」に起因する。航空自由化で周回遅れとなったわが国は、日本飛ばしの憂き目にあった。外資制限緩和で世界に先駆ける、あるいは東アジアの航空市場統合を主導するといった戦略的政策も国力回復策として一考に値するかもしれない。

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