-関西空港調査会主催 定例会等における講演抄録-
下代 泰之 氏
関西エアポート株式会社 渉外本部 空港政策部長
●と き 2024年10月25日(金)
●ところ 大阪キャッスルホテル
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今年の9月4日、関西国際空港が開港30周年を迎えました。本日は、改めて歴史を振り返りながら過去からバトンを受け取り、関西の将来の発展に向けて空港のさらなる活用についてお話させていただくことで、今は「関西エアポート」という会社で働かせていただいておりますが、自分自身改めて気を引き締めていきたいと思っています。
本日は、歴史および現在と未来(将来)という流れでお話させていただきます。
今回の講演をお受けすることになり、歴史を振り返るなか、1期島・2期島の建設を含め、関空建設には先人の多大なご尽力を改めて感じました。先人が残してくださった巨大なインフラを、地域のゲートウェイとしての活用、将来の需要拡大を受け止めることで、ビジネスや地域の発展に繋がるといった視点で話をさせていただきます。
関西空港の歴史です。関空の歴史の始まりがちょうど60年前。これは1964年の伊丹空港のジェット機乗り入れ開始、騒音公害の深刻化からスタートしました。これに端を発して「関西新空港」建設が喫緊の課題であるという世論になったわけです。
その上に「102年前」と書いていますが、102年前に関西の航空黎明期があります。これは水上飛行機で、大浜(堺)-徳島間と大浜-高松間を飛ばすために大浜飛行場が開設された年です。
余談ですが、これを開設したのは井上長一さんという方で、大阪のミナミでハイヤー業を興し、そののち飛行場をつくりました。民間航空の発祥地が堺の大浜だそうですので、関西で航空がスタートしたということになります。
そして60年前に関空の歴史が始まりました。ここからの10年間も、もちろん紆余曲折あったと思いますが、50年前つまり1974年に関空の現在の立地が「泉州沖が最適」という形で航空審議会にて答申されたということです。
伊丹の騒音訴訟当時の写真を掲載しています。飛行機からすごい煙が出ています。このようなことがあって1974年に答申が出たのですが、当初は8カ所の候補地があり、3カ所に絞られ、最終的に泉州沖に決まりました。今年、新飛行経路の件で淡路島に行ったとき、「淡路島に空港ができるはずだったんですよ」と、住民の方がおっしゃっていました。
そして、1976年、京都大学総長の奥田東さんを理事長として関西空港調査会が設立されました。当時の時代背景からして受任を悩みつつ、調査会理事長というご決断をされたのではないかと推測します。その時期は、伊丹の訴訟や、成田闘争など、社会問題化されていたので先人の方々は本当に大変なご苦労をされたことかと思います。
また10年刻みで40年前、1984年に関西国際空港の計画が決定。塩川大臣の「3点セット」の提示から決定され、このときに関空会社も設立されました。その前に奥田さんが、事業主体についての「奥田試案」を提言されており、事業主体の議論が加速したものと想像します。
ここから建設の時代になるのですが、水深18m、軟弱地盤と難工事に加え、陸から5kmも離れているため、計画決定から10年後、1994年9月4日に開港しました。
開港前8月29日には、華々しく開港記念式典が開催されました。右側の写真は天皇陛下(当時皇太子殿下)もお見えになった式典の様子です。右下は関空対岸のりんくうタウンで、当時はこれだけで何もありませんが、今はホテルも多数建って非常に活況を呈しています。
以上が開港までの歴史です。そしてこの開港から関西エアポートによる運営までが、次の歴史となります。開港後、すぐに2期事業が始まります。1996年に調査費が計上され、1999年に着工、ここから2本目滑走路ができるまで11年間。2007年に2期滑走路の限定供用が開始されました。
2000年代当初を見ていると、米国同時多発テロ・SARS・イラク戦争等があり、この当時の需要は本当に凹凸しており、2年に一度ぐらい航空イベントがありました。
こうした環境下、関空会社はというと、「多額の借金」「赤字」のなか、当初の計画から大幅に削減された約9,000億円で2期工事を進めていました。毎年財務大臣と国土交通大臣が大臣合意を結び、2期工事と関空会社の経営改善がセットで議論されていたということです。
のちの2006年2月に神戸空港が開港して関西3空港時代に入りますが、このときは需要を奪い合うような議論しかありませんでした。そこで、奪い合わないためにはどのような役割分担が適切か議論するために関西3空港懇談会が立ち上げられ、現在の役割分担が決まりました。同懇談会は、自治体の長、経済界のトップ、空港会社という、関西のトップ全員で空港問題を話し合う場でした。
華々しく関西空港2期滑走路がオープンしましたが、その後、リーマン・ショックや新型インフルエンザの世界的な流行により航空業界も大きく打撃を受けるなか、2009年には自民党から民主党に政権交代もありました。このときの「事業仕分け」で関空補給金が対象になり、関空会社としては大変時期でしたが、今考えるとこれはちょうど良かったのかもしれません。事業仕分けを受け、補給金が凍結され、伊丹と統合し関空のキャッシュフローの最大化が求められる方向に舵が切られ、コンセッションの実現に向かっていくことになります。
そして、2016年に関空・伊丹のコンセッションがスタートし、2年後には神戸空港コンセッションという流れになり、関西3空港の運営主体が一体となりました。
こちらは2期工事の様子です。水深が20m、1期事業以上の難工事でしたが、供用開始後もターミナル2建設やフェデックスの北太平洋地区ハブの貨物施設など2期島への展開が進んでいきました。
「世界標準の空港」と記載させていただいております。1期事業も2期事業も関係者の皆様のご努力で進められ、長大滑走路が2本、24時間完全に運用できる空港となり、メンテナンスで空港運営を止める必要もないものとなりました。そして2本の滑走路の離隔が2.3kmあり、やろうと思えば同時離着陸つまりパラレル運用もできる空港です。これが現在の関西空港です。
そしてここからコンセッションおよび関西エアポートの運営となります。関空・伊丹・神戸の三つの事業主体が別々だったところ、コンセッションにより運営主体が1本となり、関西3空港一体運営の流れになっていきます。
既に皆様もご存知の通り、コンセッションスキームは、運営権を設定して運営受託するというものです。関空・伊丹の両空港は新関空会社が設置管理者、神戸空港は神戸市が設置管理者ですが、両空港の運営者は関西エアポートグループということで3空港一体運営が実現したということです。過去の経緯からすると、これ自体が非常に大きな変化だと思います。
関西エアポートの株主はオリックスとフランスのゼネコン、ヴァンシ・エアポートです。ヴァンシは現在、世界で70以上の空港を運営しています。2014年のコンセッション募集時には、まだ20空港程度しかなかったので、かなり拡大しています。
もう一つの特徴は、関西企業が30社(PFI機構を除くと29社)あり、歴史の流れで運営者が関西エアポートになっても関西企業に支えていただいていることです。また、オリックスとヴァンシが40%ずつの共同経営であることも少し変わった点かと思います。
関空・伊丹のコンセッションは、総支払額でいうと44年間で2.2兆円ということでした。この規模は、一企業のバランスシートに2兆円が上乗せされるということになるので、引き受け先にとって非常に大きな決断を要するディールであったかと思います。その中でオリックス、ヴァンシの共同経営の形態で、関空・伊丹の運営が実現されました。
これまでの話を簡単にまとめます。こうした歴史の経緯があって3空港一体運営になりました。この間に空港政策はどうなっていたかというと、建設は、先ほどお話があったように全国97空港の整備で概ね一段落しました。それで航空政策の方はというと、ビザの緩和やオープンスカイ、観光立国の推進と、外貨を獲得していく方向への舵切り、そういったことが実行されてきました。
一方空港はというと、公共から民間にバトンタッチされました。私が思うに、その目的は純民間の知見を空港運営に取り入れることが一つ。もう一つは、概ね建設も終わり、巨大な資産ができ上がった。まさに民間の得意分野として、この公共資産をフル活用して収益を上げ、その資金を持って再投資に繋げ、民間の責任において好循環をもたらす流れを作るということだと思います。
ここからが関西エアポートの運営についてのお話です。50年前から今までで、関西の航空需要は5倍になっているので、やはり関空を建設してよかったと言えるのではないでしょうか。それとともに、この半世紀で空港へのイメージも「迷惑施設」から「利活用施設」に変わってきたと思います。
その中で関西空港の状況は、開港当初は国内旅客・国際旅客が5:5で半々だったのですが、今は2:8です。その国際線の中でも、日本人と外国人比率は開港当初は8:2、現在3:7。属性の変化により使われ方が変わったということであり、ターミナルのつくりなどもそれに合わせていく必要があります。
それが現在行っている既存のターミナル(ターミナル1)のリノベーションです。ニーズに合わせてつくり変えていこうというものです。
成田と関空の利用客数をご覧ください。本当に悲惨な時期から、成田にかなり近づいてきました。また、コロナ前と比較したコロナ後の動向ですが、日本人旅客はまだ戻っておらず7割弱といったところ。中国人もまだ8割程度の戻りで国籍別のシェアも落ちています。>
そうした中、今年9月に国際線の旅客が101%とコロナ前の水準を超えました。しかしまだ中国人旅客や日本人の海外旅行が回復していない状況を考えると、その他も含めまだまだ成長の伸びしろがあると思っています。
外国人旅客が多く来ていることは既に皆様もご存知のことですが、もはや東アジアの国々の人は国内旅行感覚で来ているのだろうと思われます。それを路線から考えてみると、例えば伊丹-羽田は1日30便の週210便であるのに対し、ソウルの仁川と金浦を合わせるとそれを超える供給が作られているのです。この辺り、特に韓国の方々などは本当に気軽に日本を訪問されているのだと思います。
関空の利用について、これまでの話を総括します。過去はアウトバウンド空港で、現在はインバウンドのための目的地空港となっています。もう一つユニークなところは本邦エアラインと外航エアラインの比率です。実際、70社以上の航空会社が就航し、ハブエアライン(ハブ&スポーク利用)がいない空港は世界的にも珍しく、それはまさにお客様は関西を目指して来てくれているわけです。その中で、LCCネットワークの拡大、個人旅行中心の旅行形態、先述の国内旅行感覚など、かなり手軽に関西来られる環境、そして関西で消費していただけているのだと思います。
私自身は元々あったハブ空港構想は魅力的だけれども、消費という観点では今はこれでいいのかなと思います。
訪日外国人の多くが関西を訪れています。まとめると約72%は関西を訪問されています。ちょうどいいことに大阪のミナミを始めホテルが非常に増えているため、おそらくはここがインバウンドのハブの役割を果たし、関西各地で消費行動が行われているといったところです。
一方で、残りの28%は関西以外に行っているので、インバウンドが増えていくことで将来の国内線の維持にもつながっていってほしいと思います。
今まさに観光に関して、関西の地域の力が大変強く、それらの魅力があって空港のネットワークが拡大するし、そうなると我々空港も少し潤います。その中でさらにネットワークが拡大したらまた供給が増え、需要も増える。現在、この流れがまさに起こっており、好循環に繋がっていると思います。
最後は将来に関してですが、まず需要がどうなるかということです。示しているのはIATAの予想です。おそらくACIもボーイングも、基本的に外部機関は「世界の航空需要は伸びる」と予想しています。中でもアジアは伸び率も高く、IATAでは年率4.6%で伸びていくという見通しが出されています。この需要をしっかりと日本にも取り込むことが重要になってくるでしょう。
次に関西エリアです。一番上には国の目標を書いており、今はインバウンド6,000万人が目標となっています。国として一番プライオリティが高い目標は消費額だと思いますが、まだまだインバウンド客を取り込んでいこうという方向性だと思います。
そうした中、関西はというと、まず関西のインフラ整備については、道路なども含めてしっかり進めていくことになっています。なにわ筋線も2031年開通予定です。先日(2024年9月)はうめきた2期が一部先行オープンしました。来年は大阪・関西万博が開催され、先にはIR関連でのコンテンツの充実も、また多くのビッグイベントも控えています。このようなことから、インバウンドを受け入れて航空需要が成長していく素地が関西にはこれからもあると思います。
ただ、需要が大きく伸びていく可能性は確かに高いのですが、地域の玄関口でその需要を受け止められなければ話にならないので、図の下に記したような取り組みを関係者と一緒に進めているところです。
それが空港の容量拡張です。容量の拡張には二つあり、一つが空の容量、もう一つは地上の容量、ここではターミナル容量です。万博が決まった頃からこれらの容量拡張に、地域関係者の皆様全員と取り組んできました。これに一定の成果が出ており、万博前の実現に向けて準備が整ってきました。
左側に「空の再設計」と書いていますが、これが「発着容量の拡張」、要するに新飛行経路の導入です。左上に記した「関空需要調査委員会」にて、将来の航空需要がどれぐらいになるか予測がなされました。同委員会の委員長を加藤一誠先生に務めていただき、3空港懇談会に同委員会が取り纏めた関西空港の将来需要予測をご説明し、3空港懇談会から、「1時間当たりの発着回数(時間値)45回を60回にする必要があるため、国に新飛行経路の導入を考えてもらいたい」という国への要請に繋がっております。
このような流れで新飛行経路が検討され、本年7月の3空港懇談会の地域合意を受け、来年(2025年)の3月末からスタートする運びとなっております。
右側の「ターミナルの再設計」は、一つは先述の通り、属性の変化(外国人増加)に合わせてしっかり対応すること。もう一つは、ターミナル1のキャパシティを引き上げることです。2期島に遊休地があるので、そちらへの展開も選択肢としてあるものの、旅客属性の変化を踏まえターミナル1の改修にチャレンジし、お客様に新しい旅行体験をご提供しつつ、空港容量の確保に取り組みました。
また、3空港懇談会において、関西全体の目標として、関空では2030年代前半に年間発着回数30万回を目指します。そして関空・伊丹・神戸3空港全体での発着回数50万回を目指します。空港容量拡張はこのようにして進んできました。
ご参考に、こちらが今回国につくっていただいた新飛行経路です。この経路が来年の春にスタートします。
ターミナルビルのリノベーションですが、国際線/国内線エリアの見直しをはじめ、既存資産をうまく旅客に合わせてつくり変えるということです。これも万博前にグランドオープンする運びです。
こちらは2023年12月5日にリニューアルオープンした新国際線エリアです。これ自体は綺麗にしただけといえばそうなのですが、例えば写真のように「日本・関西のシンボリックエリア」というコンセプトで今回デザインしてみました。外国人の方々が帰るとき、最後に「関西ってこんな風だったね」と思ってもらおうと、外国人の好きな日本建築の屋根や日本庭園の苔などのイメージを演出。
デジタルサイネージには関西のいろいろな風景を入れています。ちなみに今は万博をテーマにミャクミャクなどのイメージを発信しています。
参考程度に自動化の例を挙げておりますが、来年の春にグランドオープンさせるべく順調に進んでおります。
先ほど、国土交通省航空局の田中技術審議官から「空港BCP」についてご講演いただきました。関空のBCPに関連することも少し触れさせて頂きます。この写真にはありませんが、タンカーが連絡橋に衝突しました。当時、5mを超える越波だったので津波のような感じで押し寄せてきたと思います。関空島内の風速は60m弱でした。
そのような状態で、ターミナルの地下も浸水し、護岸も損壊してしまいましたが、今では元通りです。21号レベルの台風なら耐えられる対策を、国やNKIACを始め関係者の皆さまと協力して実施しています。従って今は台風21号クラスであれば十分に対応できます。
先ほどのご講演で出てきた「A2-BCP」は、我々のところにもあります。実際、特に重要なのはやはり関係者連携だと思っており、情報連携・共有の場として総合対策本部(JCMG)を設置しています。右下の写真はJCMGで32の関係機関が集まって会議をしている場面です。台風時はもちろん、空港オペレーションにおいて、情報共有が重要な場面でも開催しております。
例えばG20などで空港オペレーションを行うとき、VIPの飛行機がたくさん来るので、JCMGを機能させました。
来年は大阪・関西万博が開催されるので、安全を前提として、需要の受け入れ準備があと一歩というところまできています。
本日は、関空の歴史、過去から現在の取り組みなどについて、僭越ながらお話しさせていただきました。空港に対する認識が「迷惑施設」から「利活用施設」へと変わり、各空港対立構造だったところが3空港一体運営となり地域間の関係がかなり変化しました。これは本当に強く感じます。
そしてもう一つ、既存資産の活用という点で、官から民にバトンが渡されましたが、今後も関係者の皆さまと一緒にしっかり需要を取り込んでいきたいと思います。成長の余地はまだまだあるので、その準備にしっかり取り組まねばなりません。万博後、関西の魅力が更に海外に伝わると思うので、そこからさらに航空需要の伸長につながると信じています。
ご清聴ありがとうございました。