-学識者による研究レポート-
小島 克巳 氏
文教大学国際学部
世界の航空業界にとって、航空機の運航に起因するCO2の排出削減は喫緊の課題である。国際航空運送協会(IATA)は2021年10月の第77回年次総会において、2050年に温暖化ガスの排出量を実質ゼロとする目標を賛成多数で採択し、2022年10月の第41回国際民間航空機関(ICAO)総会においても、国際民間航空のカーボンオフセットおよび削減スキームであるCORSIA(Carbon Offsetting and Reduction Scheme for. International Aviation)について、2024年~ 2035年の基準値が見直し(2019年比85%に規制強化)されたところである。こうした航空業界の動きやわが国の政府目標に対応して、国内のANAグループやJALグループにおいても、2050年度までのカーボンニュートラル(CO2排出量実質ゼロ)を目指すとした中長期の環境目標を設定している。
現在、世界の主要航空各社がCO2排出削減策として実施している戦略的な取り組みとしては、①持続可能な航空燃料であるSAF(Sustainable Aviation Fuel)の活用、②省燃費の新型機材への更新、③運航上の工夫・改善、④排出権取引制度の活用などが挙げられる。
このうち④の排出権取引については、航空会社がCO2クレジットを購入して自社のCO2排出量をオフセット(相殺)する仕組みのほか、航空旅客が費用を負担し、自ら搭乗する便のCO2排出量をオフセットする仕組みがある。後者は、航空旅客による自発的なカーボンオフセットプログラムとして航空会社が提供するものである。本稿では、このカーボンオフセットプログラムに着目し、関連する先行研究や事例を通して今後のプログラムのあり方を考察したい。
カーボンオフセットプログラムの概念図は以下のとおりである。航空機が排出するCO2をオフセットするために、機械的に算出されたCO2クレジットの購入費用を航空旅客が任意で負担する。オフセット事業者はこれらの購入費用を国際的に認証されたCO2削減支援事業に投資するとともに、航空旅客に対してはオフセット事業者から証明書が発行される1。
出所:IATA(2022)
カーボンオフセットプログラムに関する先行研究では、2010年代以降、特に欧州系航空会社を対象とした研究論文が数多く発表されている。この背景には、EU域内の環境政策が先進的であることや、2012年に航空部門がEU-ETS(EU域内排出量取引制度)の枠組みに組み込まれたことなどがあると推察される。
例えば、Peixoto de Mello(2024)はこの約20年間に公表されたカーボンオフセットプログラムに関する先行研究をサーベイし、社会人口学的な属性(年齢、性別、学歴、所得など)、人々の環境に対する意識、カーボンオフセットの認知や支払意思といったアプローチ手法の違いから個々の研究論文を分類し知見をまとめている。結果として、著者はカーボンオフセットプログラムでは航空機からのCO2排出量をオフセットするために必要な金額を賄えていないことを指摘し、現行のカーボンオフセットプログラムの効果に疑問を投げかけている。
またBerger et al.(2022)は、顕示選考アプローチによりスイス航空の63,520名の実際の予約者のデータから支払意思を推計し、航空機から排出される1トンのCO2をオフセットするための航空旅客の支払意思額の中央値は0ユーロ、平均値は1ユーロ前後であることを示している。著者は、ほとんどの航空旅客にとってカーボンオフセットは最優先の行動ではなく、かえってフライトを諦めるための研究が重要ではないかとも指摘している2。
それでは、航空会社が実際に提供しているカーボンオフセットプログラムの事例を見てみたい。わが国でもJALグループとANAグループがそれぞれ2009年よりカーボンオフセットプログラムを提供しており、両社HP経由で利用者自身がCO2クレジットを購入すること(カーボンオフセット)が可能となっている3。
JALグループでは2009年2月より「JALカーボンオフセット」を提供しており、2022年7月からは企業向けのプログラムも開始している(オフセット事業者はノルウェーのCHOOOSE社)。CO2削減支援事業としては、①北海道美深町における森林吸収プロジェクト、②ペルーにおけるニイ・カニティーの森林管理の2件の事業が用意されており、どちらの事業を支援するかは購入者自身が選択する。
ANAグループでも2009年9月より「ANAカーボンオフセットプログラム」を提供している(オフセット事業者は日本のブルードットグリーン社)。CO2削減支援事業としては、①やまなし県有林活用温暖化対策プロジェクト、②インドネシアにおける森林保護による生物多様性の保全事業、③ペルーにおける森林保護による生物多様性の保全事業の3件の事業が用意されている。
こうしたカーボンオフセットプログラムの提供とは別に、CO2クレジット分の金額をあらかじめ加算した航空運賃を設定している事例がある。それが、ルフトハンザドイツ航空グループの「グリーン運賃(Green Fares)」で、2023年2月から欧州と北米で販売が開始された4。この運賃に含まれるCO2クレジット分のうち、20%がSAFの使用に、80%がCO2削減支援事業に充当される。グリーン運賃よりも安い通常の運賃も選択できるため、グリーン運賃にはマイル加算などの販売促進のためのインセンティブも付与されている。さらに、このグリーン運賃は2023年12月から対象路線が長距離国際線(日本路線は含まれず)にも拡大された。この場合は10%がSAFの使用に、90%がCO2削減支援事業に充当される。
先行研究によれば、欧州においても航空旅客のカーボンオフセットプログラムへの関心は薄く、カーボンオフセットのそもそもの目的を達成できていない状況にある。また、日本国内においても、少なくとも航空旅客に対してカーボンオフセットプログラムの積極的なPRが展開されているという印象はない。
ANAグループとJALグループが2050年度を目標とするカーボンニュートラルにおいては、SAFの活用などの自社のCO2削減努力のみでは削減しきれない場合の短中期的な対応として排出権取引制度を活用する方針であり、恒常的な取り組みではない。しかしながら、国民の環境への意識が高まる中、航空会社としてもカーボンオフセットプログラムに対し何かしらの改善策が必要であろう。現状としてわが国のカーボンオフセットプログラムを対象とした研究は非常に少なく、筆者自身もカーボンオフセットプログラムの有効性や課題について今後も研究を進めていきたいと考えている。